この前のシルバーウィーク。
連休明けの日、「会社に行きたくないなー」とはならなかった。
でも「休みがもっと長かったらいいなー」とは思った。笑
前にも書いたけれど、私はやることがあると、「楽しい」と感じる。
それが、やらなきゃいけないことになると、「億劫」になる。
私が会社で、億劫になることはあまりない。
携わっている業務で、きらいなものがないから。
結局は、この一言に尽きる。
このときのように、とにかく切羽詰まった状況のときは、たしかに気分が滅入った。
でも、こんなことは年に数回あるかないか。
逆に、もし今後、全く別の課に配属になったら、「億劫」は増えるんじゃないかと予想できる。
数字が主で、少し単調になる仕事だから。
日常生活で億劫なのは、トイレと洗面所の掃除。
3人で暮らしていて、平日の昼間は家にいないので、そもそもそんなに汚れない。
(汚れるのがきらいな我が子は、トイレの使い方がきれい。)
そんなに汚れないというのがポイントで、それでもなんとなく「掃除したいな〜」と頭の片隅で考える。
それがいつの間にか、「トイレ掃除しなくちゃ」になる。
だったら、さっさと済ませてしまえばいいのだけれど、汚れていないから緊急性がない。
だから、ずるずると億劫になる。
億劫に感じるのは、なんとなく「やらされているから」なんだと思う。
我が家の場合、夫は「トイレ掃除しなよ」なんて絶対に言わない。
時々は自主的にやってくれるし、頼めば100%やってくれる。
それなのに「やらされている」と感じるのは、自分の中に謎のルールがあって、それを勝手に守ろうとしているからなんだと思う。
仕事を億劫そうにやっている人も、「やらされている」という気持ちが強いのかもしれない。
例えば、仕事ができるようになると、期待値は当然高くなる。
そのときに、「人よりやらされている」と感じるか、「期待されているんだな」と捉えるか。
ある程度器用にこなせると、いろいろなことを頼まれやすい。
このときに、「また仕事が増えた」と感じるか、「これは得意!」と考えるか。
同じことを頼まれていても、受け取り方は違う。
そもそも、「仕事がきらい」な人より、「会社がきらい」な人や、「社内の人がきらい」という人のほうが多い気がする。
仕事内容がきらいな人は、辞めていくんじゃないかな。
社内の人がきらいでも、ほかに仲のいい人がいれば、続けることはできる気がする。
だからこそ、きらいな会社に「やらされている」。
きらいな上司に「指示されている」感が強くなる。
あとは、自分の身体と心のコンディションによるところも大きい。
体調がよくないときには、どんなものもいいようには捉えられない。
いやなことがあったり、不安があったりするときも同じ。
だから、いきなり「考え方を変えよう!」ではなくて。
まずは少しでも自分の調子を整える。
そのうえで、「やらされている」と感じたときに、「これって、本当にやらされているのかな?「期待されているってことかも?」「これ、私が得意だから頼まれたのかも?」と、考え方を上手に変換してみる。
そういう練習からなのかな、と思う。
同じことをしていても、「やらされている」と思うのか、「自分がやっている」と思うのか。
それだけでも、億劫さって少し変わるのかもしれない。
最近の私の脳変換は、「あれやれこれやれ口うるさい夫じゃなくてよかった」。
私が気づきやすいだけ。
