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そして、忘れられないクリスマス。
私は吐いた。そして、熱を出した。
そこから、発熱と微熱をくり返す日々が始まった。
痰のからむ咳は止まらないし、喉も痛い。熱があるせいで夜もほとんど眠れない。もちろん、食欲もない。
家族にうつさないようにと、私は一人でリビングに布団を敷いて寝ることにした。(和室にはエアコンがない)
なんとか食べられそうなときは、りんごと雑炊と雑煮を口にした。全部、夫が用意してくれたものだった。
インフルエンザが流行していた。コロナも疑われた。でも、どちらも陰性。
原因不明の発熱は、大みそかもお正月も終わらなかった。
インフルでもコロナでもない私は、しれっと出社していた。
遅刻したり、早退したり、ときには休んだりしながら、基本は何でもないふりをして働いた。
でも家に帰ると、横にならずにはいられなかった。
子どもと一緒にごはんも食べられなかった。
生気のない人間だったと思う。いや、実際“生きているだけで精いっぱい”だった。
どうして熱が下がらないのかわからない日々が続いた。
解熱剤を飲めば下がるかもしれない。でも、私は根本の原因がわからないまま薬でごまかすのが嫌で、処方された薬を飲まずにいた。
「大きな病気なんじゃないか」と思ったけれど、病院では「風邪ですね」とだけ言われた。
食べないから体力も気力もない。体力も気力もないから、食べられない。完全な悪循環だった。
その頃、子育てにも悩んでいた。
子どもが可愛いと思えなかった。
ちょっとしたことにイライラして、物理的な距離が必要だと本気で思っていた。
「ビジネスホテルから出社したほうがいいかもしれない」とすら思っていた。
保育園のお迎えだけは私の担当だったけれど、それすら誰かに頼めないかと本気で考えた。
でも、頼む元気さえ残っていなかった。
携帯を触る気力もなく、友達からのLINEも未読のまま。
(心配した友達が、「何があったの?海外旅行中?」って電話をかけてきてくれた)
(そんな中でも不安に襲われて「38℃(37℃、39℃)、熱、微熱、2週間、咳、痰」とか、検索をしまくった夜もあった)
そんな中で、私を助けてくれたのは夫だった。
普段から家事も育児も私と同じくらいこなしてくれている彼が、熱も咳も移らず、文句も言わず、全力で私を気遣ってくれた。
本当にありがたかった。
(私だったら、絶対ねちねち言っていたと思う)
そして、ふと思った。
「こんなんじゃだめだ。食べたくなくても、お肉を食べよう」
そこから少しずつ食べるようになって、2週間以上続いた発熱が、成人の日前の土曜日についに終わった。
久しぶりにショッピングセンターへ出かけて、ふとガラスに映った自分の姿を見たとき、目を疑った。
「この、姿勢の悪い、やせ細った女が私なの?」
たしかに、歩くだけでしんどかった。
体力がなくなって姿勢が悪くなっているのは自覚していたけれど、痩せていく自分の体が気持ち悪かった。
一気に老けた気がした。
その月は、生理も止まった。
(男性が読んでいたらごめんなさい。でも、これは事実です)
たぶん、いや、絶対。
このときに、円形脱毛症の“ベース”が出来上がったのだと思う。
そして成人の日。
今度は子どもが発熱した。
それが1週間、続いた。
そのときに、私はようやく我に返った。
子どもも、必死に我慢していたんだ。
“ママがごはんを食べている”
“帰ってきても、横になっていない”
“一緒に寝室で眠れる”
そんな当たり前の日常を、ちゃんと過ごしている私を見て、安心したのだと思う。
子どものちょっとした行動にいちいちイライラしていた気持ちは、まるで嘘のように消えていった。