あの冬の体調不良はストレスだった。3ヶ月後に気づいた【小さなストレスがあなたを壊す前に③】

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そして、忘れられないクリスマス。 

私は吐いた。そして、熱を出した。 

そこから、発熱と微熱をくり返す日々が始まった。 

痰のからむ咳は止まらないし、喉も痛い。熱があるせいで夜もほとんど眠れない。もちろん、食欲もない。 

家族にうつさないようにと、私は一人でリビングに布団を敷いて寝ることにした。(和室にはエアコンがない) 

なんとか食べられそうなときは、りんごと雑炊と雑煮を口にした。全部、夫が用意してくれたものだった。 

インフルエンザが流行していた。コロナも疑われた。でも、どちらも陰性。 

原因不明の発熱は、大みそかもお正月も終わらなかった。 

インフルでもコロナでもない私は、しれっと出社していた。 

遅刻したり、早退したり、ときには休んだりしながら、基本は何でもないふりをして働いた。 

でも家に帰ると、横にならずにはいられなかった。 

子どもと一緒にごはんも食べられなかった。 

生気のない人間だったと思う。いや、実際“生きているだけで精いっぱい”だった。 

どうして熱が下がらないのかわからない日々が続いた。 

解熱剤を飲めば下がるかもしれない。でも、私は根本の原因がわからないまま薬でごまかすのが嫌で、処方された薬を飲まずにいた。 

「大きな病気なんじゃないか」と思ったけれど、病院では「風邪ですね」とだけ言われた。 

食べないから体力も気力もない。体力も気力もないから、食べられない。完全な悪循環だった。 

その頃、子育てにも悩んでいた。 

子どもが可愛いと思えなかった。 

ちょっとしたことにイライラして、物理的な距離が必要だと本気で思っていた。 

「ビジネスホテルから出社したほうがいいかもしれない」とすら思っていた。 

保育園のお迎えだけは私の担当だったけれど、それすら誰かに頼めないかと本気で考えた。 

でも、頼む元気さえ残っていなかった。 

携帯を触る気力もなく、友達からのLINEも未読のまま。 

(心配した友達が、「何があったの?海外旅行中?」って電話をかけてきてくれた) 

(そんな中でも不安に襲われて「38℃(37℃、39℃)、熱、微熱、2週間、咳、痰」とか、検索をしまくった夜もあった)

そんな中で、私を助けてくれたのは夫だった。 

普段から家事も育児も私と同じくらいこなしてくれている彼が、熱も咳も移らず、文句も言わず、全力で私を気遣ってくれた。 

本当にありがたかった。 

(私だったら、絶対ねちねち言っていたと思う) 

そして、ふと思った。 

「こんなんじゃだめだ。食べたくなくても、お肉を食べよう」 

そこから少しずつ食べるようになって、2週間以上続いた発熱が、成人の日前の土曜日についに終わった。 

久しぶりにショッピングセンターへ出かけて、ふとガラスに映った自分の姿を見たとき、目を疑った。 

「この、姿勢の悪い、やせ細った女が私なの?」 

たしかに、歩くだけでしんどかった。 

体力がなくなって姿勢が悪くなっているのは自覚していたけれど、痩せていく自分の体が気持ち悪かった。 

一気に老けた気がした。 

その月は、生理も止まった。 

(男性が読んでいたらごめんなさい。でも、これは事実です) 

たぶん、いや、絶対。 

このときに、円形脱毛症の“ベース”が出来上がったのだと思う。 

そして成人の日。 

今度は子どもが発熱した。 

それが1週間、続いた。 

そのときに、私はようやく我に返った。 

子どもも、必死に我慢していたんだ。 

“ママがごはんを食べている” 

“帰ってきても、横になっていない” 

“一緒に寝室で眠れる” 

そんな当たり前の日常を、ちゃんと過ごしている私を見て、安心したのだと思う。 

子どものちょっとした行動にいちいちイライラしていた気持ちは、まるで嘘のように消えていった。 

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