涙をこらえながら仕事をしていた前編はこちら
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これはもう、私のラッキーな性格なんだと思うけれど、「何かやることありますか〜?」で振られた仕事は、結構楽しかった。
雑務をする中で今まで携わったことのない業務を経験できて、「この人はこんな仕事をしていたのか」「これはこうなっているのか」と、会社を違う角度から見られるのが新鮮だった。
「こんな便利な資料がここにあるのか!」という発見もあったし、宅急便の梱包や送り状作成も経験。自分の業務の幅が広がって、梱包スキルなんて、その後始めたメルカリでめちゃくちゃ役に立った。笑
もちろん私は自分の業務が大好きだったけれど、「私は小さい世界で仕事をしていたんだな」と気づけたのも大きな収穫。
(泣きたい日々は続いていたけれど。「あんなに好きって言ってた仕事じゃないことをしている」って周りに思われてるんだろうな、という謎の思い込みも重なっていたと思う)
そして転機はいきなりやってきた。
ある業務に専任していた人が、自己都合で突然「今日で辞めます」とお菓子を配りながら宣言。
あまりにもナチュラルすぎて「え?今日で辞めるって言った?」と聞き間違えたかと思った。もちろん引き継ぎなし。
(その人自体、元々難ありだったから引き止められなかった)
その人をサポートしていた人がもうすぐ育休から戻ってくる予定だったので、それまで“つなぎ”で私が担当することに。
超未知。しかも超責任重大な仕事。
上司たちにかなり助けられて(というかほとんどやってもらって)、なんとか形になっていった。
責任と重圧はヘヴィだったけれど、“やることがある”ことと、“初めて知る業務”は私には楽しかった。
その業務はコロナの世界情勢の影響をモロに受けた。
私はあたふたしていたけれど、上司たちは「クリアしてもしても次から課題が出てくるなー!笑」と、むしろ楽しんでいた。
そんな人たちの下でやる仕事は心強すぎた。笑
「そうか、なんとかなるのか!」と。
そして本当になんとかなった。(ハラハラの連続だったけれど)
今でも私は「こんな上司たちがいるから大丈夫!」と心から思って仕事をしている。
(ちなみにその上司たちは社長とNo.2。超頼もしい)
やがて育休から戻ってきた人にバトンを渡すことになった。
といっても最初は二人三脚で試行錯誤。
そのとき私は「またやることなくなるな〜」と思っていた。
でも次の転機。
その人の子どもが入院し、1か月間なんの連絡もなく不在に。
(もう一度言うけど、超責任重大な仕事)
私は「戻ってきたとき困らないように」と、引き継ぎ用メモだらけにしながら仕事をしていたけれど、見かねた上司たちが判断した。
「さすがにこんな責任ある業務で、一切の連絡がないのはどうなんだろう」と。
その結果、そのまま私が担当することになった。
なるほど、考え方はいろいろある。
でも、やることがあるなんてラッキーだ!
そして今日に至る。