元旦。夫の実家。
おじいちゃんが、届いた年賀状を嬉しそうに眺めていた。
それを、我が子は興味津々でのぞき込んでいた。
2024年の年賀状までは、我が家も毎年作っていた。
けれど2024年、例の新人の件でストレスMAXだった私は、2025年の年賀状を作る気力がなく、そのまま年賀状じまいをしてしまった。
文字を書くのが好きで、保育園では郵便局ごっこをしている我が子。
「○○も年賀状、書きたい」
書きたい相手を聞くと、ばあば2人と、よく遊ぶ私の友達の3人。
さっそくコンビニで年賀はがきを買った。
子どもなりに一生懸命考えて書き上げた年賀状。
宛名は私が筆ペンで書いて、投函した。
数日後。
友達から「年賀状届いたー♡」と嬉しそうな連絡。
そして、「宛名は○○(私)が書いたの?字、上手だねぇ」というお褒めの言葉付き。
え、思わぬところで褒められて嬉しい…♡笑
友達は「私も習字、習っておけばよかったなぁ」と言っていた。
そこで、ふと気づいた。
私は確かに、「履歴書の字が上手だったから」という理由で、今の会社を含めて2社、受かったというラッキーがある。
だから字が上手なのは得だな、と思っている。
「こんな素敵な雰囲気の人が、こんな字を書くの?」と、頭が追いつかないほど落胆したこともある。
だけど。
字の下手さは、本人が気にしていなければ、損でも残念でもない。
英語が話せる人からすれば
「話せない人は絶対損してる」
と思うかもしれないけれど、話せない本人が全く気にしていなければ、それは損にはならない。
身長が高い人が
「身長が低いのって損してる」
と思うこともあるだろうし、
お酒が好きな人は
「飲めない人は損してる」
と思うかもしれない。
でも、身長が低い人がそれを何とも思っていなければ、その人にとって身長の低さは損ではない。
むしろ「背が低くてよかった♡」と思っている可能性だってある。
お酒を飲めなくても
「飲めなくてラッキー」
と思っている人だっているだろうし、そもそも何とも思っていないかもしれない。
そう考えて、気づいた。
自分の得意なこと、優位だと思っていることを「トク」だと決めるのは、ちょっと違うのかもしれない、ということ。
私は習字を習っていて得をしたと感じる場面が何度もあった。
だからこそ、自分の子どもにも習ってほしいと思っていた。
水泳もそう。
メドレーが泳げるし、水泳のおかげで体が強くなって皆勤賞。
だから子どもにも習ってほしかった。
けれど。
子どもは、私ができない壁逆立ちができるし、走るのも速い。
できることも、やりたいことも、全然違う。
知らないうちに、自分の価値観を押し付けていたことに気づいて、驚いた。
英語が話せていいな。
パソコンが詳しくていいな。
そう思うことはある。
でも、本気で「損だ!」と思っていたら、私の性格なら絶対に勉強している。
勉強していないということは、今の自分で困っていない、ということ。
つまり私は、それらを「損」とはとらえていない。
見方を変えると、おもしろい。
今回、言いたかったこと。
自分では気づかないうちに、誰かにとっては“うらやましい”存在になっていることも、きっとある♡

