絶望の日々から、私らしいラッキーへ【事務員編④】 

仕事

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これはもう、私のラッキーな性格なんだと思うけれど、「何かやることありますか〜?」で振られた仕事は、結構楽しかった。 

雑務をする中で今まで携わったことのない業務を経験できて、「この人はこんな仕事をしていたのか」「これはこうなっているのか」と、会社を違う角度から見られるのが新鮮だった。

 

「こんな便利な資料がここにあるのか!」という発見もあったし、宅急便の梱包や送り状作成も経験。自分の業務の幅が広がって、梱包スキルなんて、その後始めたメルカリでめちゃくちゃ役に立った。笑 

もちろん私は自分の業務が大好きだったけれど、「私は小さい世界で仕事をしていたんだな」と気づけたのも大きな収穫。 

(泣きたい日々は続いていたけれど。「あんなに好きって言ってた仕事じゃないことをしている」って周りに思われてるんだろうな、という謎の思い込みも重なっていたと思う) 

そして転機はいきなりやってきた。

 

ある業務に専任していた人が、自己都合で突然「今日で辞めます」とお菓子を配りながら宣言。 

あまりにもナチュラルすぎて「え?今日で辞めるって言った?」と聞き間違えたかと思った。もちろん引き継ぎなし。 

(その人自体、元々難ありだったから引き止められなかった) 

その人をサポートしていた人がもうすぐ育休から戻ってくる予定だったので、それまで“つなぎ”で私が担当することに。 

超未知。しかも超責任重大な仕事。 

上司たちにかなり助けられて(というかほとんどやってもらって)、なんとか形になっていった。 

責任と重圧はヘヴィだったけれど、“やることがある”ことと、“初めて知る業務”は私には楽しかった。

その業務はコロナの世界情勢の影響をモロに受けた。 

私はあたふたしていたけれど、上司たちは「クリアしてもしても次から課題が出てくるなー!笑」と、むしろ楽しんでいた。 

そんな人たちの下でやる仕事は心強すぎた。笑 

「そうか、なんとかなるのか!」と。 

そして本当になんとかなった。(ハラハラの連続だったけれど) 

今でも私は「こんな上司たちがいるから大丈夫!」と心から思って仕事をしている。 

(ちなみにその上司たちは社長とNo.2。超頼もしい) 

やがて育休から戻ってきた人にバトンを渡すことになった。

といっても最初は二人三脚で試行錯誤。 

そのとき私は「またやることなくなるな〜」と思っていた。 

でも次の転機。 

その人の子どもが入院し、1か月間なんの連絡もなく不在に。 

(もう一度言うけど、超責任重大な仕事) 

私は「戻ってきたとき困らないように」と、引き継ぎ用メモだらけにしながら仕事をしていたけれど、見かねた上司たちが判断した。 

「さすがにこんな責任ある業務で、一切の連絡がないのはどうなんだろう」と。 

その結果、そのまま私が担当することになった。 

なるほど、考え方はいろいろある。 

でも、やることがあるなんてラッキーだ! 

そして今日に至る。 

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